日本の投資信託市場では、過去20年間に何度も巨大ファンドが誕生してきました。2000年代には毎月分配型ファンドが次々と1兆円の大台を突破し、2010年代前半にはわずか数ヶ月で1兆円に到達する商品すら現れました。そして2020年代に入ると、主役は一転して低コストのインデックス・ファンドへと移り、「eMAXIS Slim 米国株式(S&P500)」、「eMAXIS Slim 全世界株式(オール・カントリー)」はともに10兆円規模まで資産残高を伸ばしています。
1兆円ファンドの本数推移
このような数字だけを見ると、日本は巨大ファンドが生まれやすい市場に見えるかもしれません。しかし、ここで問うべきは「巨大ファンドは本当に旗艦ファンドと言えるのか」という点です。米国の「旗艦ファンド」、たとえば Vanguard Total Stock Market Index Fund (
VTSMX
では、日本の巨大ファンドはなぜ旗艦ファンドたり得なかったのか。本質を理解するには、まず2000〜2014年の巨大化のメカニズムを丁寧にたどる必要があります。そこで本連載では、(前編)2000〜2014年に生まれた巨大ファンドの興亡、(後編)2015年以降の構造変化とインデックス・ファンドの巨大化の本質という二つの切り口で、日本の巨大ファンド史を読み解いていきます。まず前編では、分配金ブームが市場を席巻した2000〜2014年の動きを整理します。(なお、本連載では日本のETFは分析の対象としていません。)また、より詳細な分析レポートは以下よりご覧いただけます。
2000年代前半: 1兆円ファンドの誕生
日本で初めて1兆円に到達したのは、2000年2月の「ノムラ日本株戦略ファンド」(現在は「野村国内株式アクティブオープン」へ名称変更)です。新規設定時に約8,000億円もの資金を集め、設定からわずかな期間で残高1兆円を突破しました。当時ITバブルがピークにあり、市場の熱気に強力な販売力が重なった結果でした。しかし、バブル崩壊とともに資産残高は減少し、わずか数ヵ月で1兆円を割り込みます。急膨張と急失速。この構造は米国の旗艦ファンドが歩んできた「ゆっくりとした成熟」とは対照的であり、日本の巨大ファンドが旗艦として育たなかった理由を象徴しています。
続いて登場した1兆円ファンドであり、唯一長期にわたり巨大さを保ったのが「グローバル・ソブリン・オープン(毎月決算型)」(グロソブ)でした。1997年の設定から約5年で1兆円に到達し、2004年末には3.6兆円へ拡大。さらに2015年まで10年以上1兆円超を維持し続けるという、日本市場では例外的な「長寿巨大ファンド」となりました。とはいえ、グロソブの支持の中心にあったのは投資哲学ではなく、超低金利下での「毎月の分配金」という機能性と、銀行窓販による強力な販売網でした。長年1兆円を超す資産残高を保ったものの、運用文化への信頼を積み上げた結果ではなく、機能性と販売に支えられた巨大化だった点で、旗艦ファンドとしての性質は限定的でした。
2000年代前半の1兆円ファンドの資産残高推移(億円)
銀行窓販が解禁されてから数年しか経過していなかった2000年代前半は、日本の投資信託市場が慎重ではありつつも着実に拡大していった時期でもありました。特に初期の毎月分配型ファンドの大流行には、現在の視点から振り返ると、一定の教育的な側面もありました。たとえば為替変動による基準価額の上下や、投資対象ごとのリスクの違いを、投資家が実際に経験を通じて理解するきっかけとなり、長年投資から距離を置いていた層がリスク資産に触れる入口として機能した面もありました。
しかし、この「緩やかな市場拡大期」から、状況は次第に変質していきます。世界的な株高や新興国市場の急成長などの追い風を背景に、高い分配金を競う商品が次々に登場し、分配金重視の販売姿勢が市場全体へ急速に広がっていきました。やがて金融危機による暴落を経ると、ファンドの商品性は徐々に高リスク化・複雑化し、投資家が十分に理解しづらい構造の商品も増えていきます。このような流れは最終的に金融当局の指導につながり、毎月分配型ファンド全体が一時代の曲がり角を迎えることになるのです。
2000年代後半~2010年代前半: 分配金ブームが1兆円ファンドを量産
グロソブの成功をうけ、2000年代後半に入ると、日本の投信市場は毎月分配型の黄金期に突入します。高い分配金を提示できるファンドが相次いで人気を集め、「ピクテ・グローバル・インカム株式ファンド(毎月分配型)」(グロイン)は設定からわずか1年半で1兆円に到達し、最大で2.8兆円へと膨らみました。世界的な低金利環境のなか、分配金の原資を確保するため、投資対象は債券から株式、REITなどへと広がっていきます。そして、さらに高い分配金を捻出するために、新興国通貨のリスクを追加的に取るような「通貨選択型」も登場しました。
このような巨大化は、一見すると市場の成長を示しているようにも見えました。しかしその根本にあったのは、毎月高い分配金を受け取れるという短期的な魅力であり、ファンドの投資哲学や長期的な価値への期待ではありませんでした。2010年代に入ると分配金競争がさらに過熱し、設定後数ヵ月で1兆円に到達するファンドまで現れますが、その持続性は乏しく、分配金が下がった途端に急速な資金流出が起き、1兆円維持に至った期間はどれもごく短いものでした。
結果的に、2000年代後半から2010年代前半は、日本が大量の巨大ファンドを生み出した時期でしたが、それらはいずれも販売と分配金に支えられた「機能的巨大化」にすぎず、長期的な信頼の蓄積という旗艦ファンドの本質からは遠い存在でした。
2000年代後半の1兆円ファンドの資産残高推移(億円)
2010年代前半の1兆円ファンドの資産残高推移(億円)
巨大ファンドが旗艦ファンドになれなかった理由
2000年代から2010年代前半を振り返ると、日本の巨大ファンドは着実に数を増やしたものの、それが運用会社の看板として「育つ」ことはありませんでした。巨大化の背景にあったのが、運用会社の理念や投資家の長期的な共感ではなく、販売力と分配金という短期的な要因だったためです。
資産残高は急激に膨らませることができても、投資家がファンドとともに年月を重ね、信頼と価値を共有しながら育つという旗艦ファンド特有のプロセスは生まれませんでした。結果として、日本の巨大ファンドは「作られる」ことはあっても「育つ」ことはなかったのです。
では、この国に旗艦ファンドが生まれるのはいつのことでしょうか。その兆しが見え始めるのは、2010年代後半の「1兆円ファンド空白期」を経た、2020年代のインデックス・ファンドの台頭以降です。◇
記事の後編

